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モンテッソーリ教育とは?

歴史 理念 活動

モンテッソーリ教育ができるまで

モンテッソーリ教育は、イタリア人女性で初の医学博士となった
マリア・モンテッソーリが、子どもの観察を元に導き出した教育法です。

今では世界中に広まった『モンテッソーリ教育』
その歴史を、マリア・モンテッソーリの生い立ちとともにご紹介いたします。

Maria Montessori

1.マリア・モンテッソーリの生い立ち

1870

8月31日 イタリア
マリア・モンテッソーリ
(以下:モンテッソーリ)誕生。
イタリア国家が誕生したばかりの時代です。

1890

父親の反対を押し切って、医者になるため大学に入学。
当時、男女格差が当たり前の時代で、女性の大学進学は非常に稀で、
女性が医学の道を志すことは異常とさえ思われることでした。

1896

様々な困難を乗り越え、モンテッソーリは
女性として初めて、
ローマ大学で医学博士号を
取得しました。

2.きっかけは精神病棟での経験

1900

ローマの精神科病院に勤務。
当時、精神及び発達に障害のある者は、一括りに精神病棟に入院
させられていました。
精神病棟とは名ばかりの、子どもにとって何の刺激もない、監禁
されたような場所でした。

ある時、モンテッソーリは、子どもたちが床に落ちたパンくずを
拾い集め粘土のようにして夢中で遊ぶ姿を見て、「子どもは常に
手を動かし感覚的な刺激を求めている」と発見しました。

その発見がきっかけとなり、子どもを注意深く観察し、
モンテッソーリの研究が始まります。
次第に子ども達の知能に向上
が見られるようになり、モンテッソーリは注目を集め、その名が
広がりはじめました。

1901

教育、実験心理学、人類学の2番目の学位を取得。

3.「子どもの家」始まりはスラム街

人生の初期から教育という物は、現代社会、また未来の社会を変えることができます。

1907

1月6日
ローマのサンロレンツォ地区に、
初の『子どもの家』(Casa dei Bambini)が開校しました。

『その日には、まだ50人の小さい子どもたちがいるだけでした。
どのようなしつけも受けていない最も貧しい家の子どもたちで
おずおずとした様子をしていて泣いている子もたくさんいました。
その子どもたちの親は、ほとんど全てが文字を読み書きできません
でした。
そのような子どもの世話が私にゆだねられたのでした。』
【引用:幼児の秘密】

当時、子どものための保育環境はまだ整っておらず、
モンテッソーリは、子どもの様子を観察しながら、子どもが
自発的に自立して活動ができるよう、環境を改善していきました

4.未来の子どもの姿が現れる

マリア・モンテッソーリ

モンテッソーリは、精神科で子どもたちに
感覚的な刺激をもたらすために用いた教具を
『子どもの家』の子どもたちにも応用しました。

すると、子どもたちは教具に惹きつけられ、驚く
ほど集中して繰り返し活動を
つづけたのです。
活動を終えた子どもは満足して落ち着き、晴々としたその表情は満足感で輝いていました。精神的に健康になり今までとはまるで別人のようになりました。

活動を終えた子どもは満足して落ち着き、晴々と
したその表情は満足感で輝いていました。精神的に健康になり今までとはまるで別人のようになりました。

『これらの子どもたちのことを考えてつぶやきました。
「あなたは誰なの?」』
【引用:幼児の秘密】

その後、革新的な教育法だと評価され、『モンテッソーリ・メソッド』として世界中に
広がりました。様々な国と地域で導入されるようになり、教師の育成も行われ始めました。

5.日本でも

1912

日本で初めて、日刊紙『萬朝報』にモンテッソーリ教育について
掲載されました。
当時の日本は、幼児・小学校教育における改善が必要とされており
日本の教育界でも注目を浴びました。

1913

国際教師養成コース開始。
神戸市立幼稚園でモンテッソーリ教育が導入され、徐々に国内にも
広がっていきました。

1922

文部省『幼稚園教育九〇年史』にて

『モンテソーリの遊戯は分解的、 抽象的、組織的、一時的であるが、
フレーベルの遊具 は思想構成的、総合的、具体的、永続的である。
モンテソリーには種々の良い点があるが、その多くはフレーベルの
方法を深く研究すればその中に含まれている』

と掲載され、幼児教育の場では、再びフレーベルに戻っていきました。

6.AMI国際モンテッソーリ協会設立

1929

息子であるマリオ・モンテッソーリ氏と共に
AMI国際モンテッソーリ協会を設立しました。

7.戦争を経て

1933

ナチス政権により、スクールが閉鎖され、イタリアでも
全てのモンテッソーリスクールが閉鎖されました。

1939

第二次世界大戦勃発
モンテッソーリは、教師育成コースを開催するためインドに渡航
したものの、戦争の影響で終戦までの7年間をインドで過ごし
>ました。
この頃ガンジーなどとも交流があり、モンテッソーリ教育をさらに
深め、教師の育成にも力を注ぎました。

1946

ロンドンにて、教師育成コースを開催。
戦後、モンテッソーリはインドから
ヨーロッパに戻り、最初にロンドンで
教師養成コースを開催しました。

※この時の講義録が、2016年に
『1946年ロンドン講義録』として日本で
出版され、多くの方がモンテッソーリ教育
について理解を深めることを助けています。

マリア・モンテッソーリ

1949

ノーベル平和賞の最初のノミネート
(再び1950年と1951年)

1952

オランダにて永眠。
生涯を幼児教育に捧げました。

8.現在(誕生から150年余り)

誕生から150年以上経過した現在、世界各国で『モンテッソーリ教育』は
受け継がれています。

日本でも、子どもの家や幼稚園・保育所などでモンテッソーリ教育が導入されています。
また、モンテッソーリ教育の一般への認知度が高まり、家庭での子育てに応用できる
様々な情報や書籍も出版され、保護者の関心をも集めています。

『その魂が輝きとともに姿を現し、その光を世界中に広めたのです。』
【引用:幼児の秘密】

モンテッソーリ教育

幼い子どもが幸せに発達していくことは、未来の希望につながります。
マリア・モンテッソーリは、生涯を平和のための教育にそそぎました。

『メソッドではない。
これはムーブメントだ。』

マリア・モンテッソーリの孫娘デニルデ・モンテッソーリの言葉のように、
それは、時を越えてこれからも続いていくムーブメントなのです。

マリア・モンテッソーリ

『教育は、もやは知識を与えるだけでなく
人間の可能性を解き放つべく、
新しい道を歩まなければなりません。』

マリア・モンテッソーリ

Maria Montessori in Education for a New World (1947)

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